子供たちの記録

高2と中3の子どもたちのキロクです。二人とも公立中高一貫校を受検し、兄は合格、弟は不合格で現在進行中。子供達のその後、親の迷走を綴っています

高校受検日、雑感

うわー、今から30年以上前、

私もこの日受験したんだなあ。

ちょっと、懐かしいですね。


あの頃は、学区制でしたね。

そして、グループ合格の制度がありました。


私立校はどうなっていたか、よく覚えてませんが、

というのも、私は公立落ちたら、働きなさいと

言われてましたから、私立は候補外だったんです。

検討してはいけないと思っていましたが、

あの頃、高校受験案内の冊子を憧れながら見てました。


その中であの頃のイメージ

学芸大学附属、筑波大学附属、、、雲の上の天才のみが受けるところ

豊島が岡、、、頭は良いけど、若干芋臭い

鴎友、、、制服が可愛くて憧れ

十文字、、、セーラーが可愛く、頭まあまあ

日大系、、、あの頃はかなり良かったですよ

第二が一番評価高く、鶴、三と続き、最後が桜でしたかね。

私は、併願推薦で、笹塚の富士見ヶ丘を受けたこと覚えてます。先生の勧めでした。今はスポーツで有名みたいです。


現在は、ガラッと学校の偏差値も変わって、イメージも変わって、本当にびっくりしますね。

中学受験を齧ったとき、憧れの学校が若干芋臭いと聞いた時は驚きました。


そう考えると、都立高校の順位の入れ替えも凄まじいですね。

やっぱり、目黒高校と雪谷高校の躍進ですね。あの頃は目黒はいつも定員割れで、広尾は大人気でしたが、いつ逆転したのでしょうか。

第一学区は、日比谷、九段、三田と言われてましたが、

いつのまにか九段がなくなり、小山台が二番手に飛び込んでますし。

第二学区は、上は変わらず、戸山、青山、三番手は新宿でしたが、新宿は今は単位制で区外に出てしまいましたね…

ずいぶんと変わりましたね。他の学区は記憶していません。

グループ合格というのは、同じグループの中で、第一志望校に不合格だった場合、グループ内の定員割れの学校にすくってもらう制度です。

ですから、定員割れになりそうな学校というと、下位の学校になりますから、第一志望に落ちるとかなり下の学校になってしまいました。

でも、まことしやかな、このグループ合格で最下位の学校に通ったけれど、推薦で早稲田に進んだ例があるなどという話耳にしました。

今、大人になってよく考えると最下位の学校に難関大の推薦枠があったのだろうか?疑問です。

グループ内で定員割れがないとすくってももらえません。

で、結局、事実上一発勝負でした。

あの頃はどこも共通問題だったので、入試は併願校の方がよほど難しかったと記憶しています。学力テストより定期テストで稼ぐタイプでしたから。今の駿台模試は全くできないでしょうね。だから、息子たちにすでに抜かれてます。今のお子さんの方がずっと大変ですね。戦々恐々です。

昔は内申の副教科二倍がなかったです。5科が良ければ学区の上位は受けることができました。勉強をしていない子の方が多かったですし、真面目にやれば、すぐに出来る方になりました。

現在の子供達は、とても勉強しているし、レベルが高いなあと感心します。中学受験の影響と経済不安も加速して、最後に信じられるものは自己の能力のみという親の考えだろうと思います。